ねこが大好き。 いろんな物事について書いてます。

ぷにろぐ

25時 | main | Punk Attitude!
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
| スポンサー広告 | --:-- |
ざっと
最近読んだ本について。


大統領の英語 松尾一之著、講談社学術文庫

アメリカの歴代大統領を政策や人間性などの観点から解説してくれる。実際に話された言葉や教書演説の英文が載っていて、それに対する解説、考察がなされているので、時代背景を掴めるという点では近代アメリカの歴史入門書のような感覚で読める。

ここでの「英語」とはアメリカ社会を映し出すようなもので、文法やスペルに寛容なアメリカ英語から、君主制から逃れてきた背景を持つ国の民主主義に対する意識が窺える。

ところで、J・W・ブッシュ大統領に関しては「あぶない英語」などと書かれているように、彼の発言がいろいろと議論を呼んだ事についても書かれている。English Patientなどとジョークにされたらしい。読み終えて分かるのだが、歴代大統領に比べ、ブッシュに関しては資質を疑うような気分になる。現職なので歴史的評価が難しいのかもしれないが、これ程困った人も珍しい。


Age of Propaganda A・プラトカニス/E・アロンソン著、誠信書房

嫌と言うほど広告にさらされて生きている現代人への教育書みたいな感じ。邦題に「広告、政治宣伝のカラクリを見抜く」とあるように、「洗脳」の具体的な内容に触れることが出来る。こういった本でよく言われるのが広告は「事実よりもイメージを植えつけようとする」と言うこと。一般に言う「広告とは消費者と企業が双方の利益にかなった正しい情報の交換」と言うのはとんでもない馬鹿げたでたらめで、実は広告は巧妙に消費者を操作する。

「PR」と言う本によれば、現代の情報操作の起源は実は100年近くも前の事で、その時すでにイメージによる洗脳は始まっていたと言われている。社会の秩序維持には少数エリートが「適切に」大衆を導くべきだ、と言う考えが強く、それが後の広告業界に多大な影響を及ぼした。

この本で書かれているのは、そうした巧妙な宣伝の具体的な方法と、その病的なまでの思想。広告やら宣伝などに影響されないと思っている人こそ読んでみるべきだと思う。何か物を買う時に、その決定はいったい誰が下しているのか。物の本当の価値で買っているのか、それとも広告が植えつけるイメージが気付かぬうちに引き金となっているのか。

「~を持っていることがかっこいい、~を着ていることがかっこいい」などと思って消費している人間は、実はある意味ではものすごく幸せな無害な連中だと思う。悲劇なのは、そうでない人間が知らないところで操作されてしまっている事かも知れない。

ところで、本書の中で「何も言う事が無ければ歌えばいい」と言う広告の手法があるらしいのだが、W杯中に「コッカコーラを飲も~うよ!」と馬鹿みたいに踊って歌う明石家さんまのCMを思い出して笑ってしまった。 


Survivor チャック・パラニューク著、ハヤカワ文庫

映画Fight Clubの原作小説を書いた人の第2作目。著者のHPが非常に充実していて全く飽きないのだが、彼の作品は「孤独な人間の他人とのつながりについて」がテーマらしい。Fight Clubなんか確かにそうだ。主人公は…もう言わなくても分かる。

この作品の主人公テンダーは、あるカルト教集団の中で生まれた。教団で生まれた子供は堕落した外界の奉仕者となるべく、一定の年齢に達すると社会に出される。主人公は金持ちの家の家政夫をしていた。

前半で、ある偶然から自宅に自殺志願者が電話をかけてくるようになり、彼はその背中を押し始める。つまり「死ね」と。この「死」と言う概念は彼の中で重要な位置を占めていて、彼は内面でそれを模索する。中盤から後半にかけて、ある奇妙な少女との繋がり、そしてカルト教団の生き残りとしてメディアから「カリスマ」に仕立てられ、彼の人生は多くの嘘によって変わる。

実は彼は頭がいい。日常生活での有用な情報をたくさん持っている。そしてその情報は多分に虚偽のために使われてしまうのだが、このあたりにFight Clubとの共通項が見える。頭のいいタイラーは、最後にはビルを爆破する。テンダーは作品の最後に飛行機をハイジャックし墜落させる。

こうした最後を見ると、誤魔化しだらけの現実を受け入れられない人間の葛藤が見えてくる。彼らを見ていれば、著者の言う「孤独な人間」がどういう人間だかイメージできると思う。ファイトクラブでタイラーは言う。「神が俺たちに気付いてくれないなら、神に憎まれた方がマシだ」この言葉が響く。


ドキュメンタリーは嘘をつく 森達也 草思社

最近では一番面白かった作品。オウム信者を題材にした映画「A」の作者の本。

これまで「事実が大切」といかに簡単に口走ってきたか思い知らされ、「事実」について考えさせられた。著者は公正中立が謳われるドキュメンタリーを「有り得ない」とばっさり斬り捨てている。カメラと被写体がある以上は表現者の表現行為であり、そこに個人的な意識が絡んで当然だ、と。

事実とは何かと思う。人間が知りえる情報は、まさにその個人が目撃した事か他から得られる情報に過ぎない。ものすごく極端な話になるが宇宙人はいない、ネッシーはいないと言うのはこの観点からすれば情報だと思う。夫の知らないところで妻は浮気をしているかも知れない。知らない事を得ようとすればそれは必然的に受けてになりがちだ。だからこそ中立など有り得ない。

オウムの事件に関して著者は社会が思考停止に陥ったと言う。動機が不明の大量殺人を考えず単純悪として片付けた(誤解の無いように言っておくがオウムの犯罪を肯定する内容では全く無い)。被写体にモザイクを入れる報道はこれを期に増したと言っている。モザイクが得体の知れ無い負の象徴として使われたと。

ドキュメンタリーでは被写体を映す表現者の葛藤が視聴者に思考を促す要素だとしている。逆にそれがものすごくリアルだ、と。確かに現在において人が受け取る情報とはパッケージ化された消化しやすい商品でしか無い。何の苦痛も無くすんなり飲み込める。だがそれでは絶対に実を定義できない。情報の受け手である人が事実を自ら知りえない前提に立てば、必ずそこに意見や葛藤を持って対抗するしかない。だからオウム報道のモザイクは受け手に事実を「悪」として片付ける。

自分の知らないところで何が起きているかについては、人はあらゆる想像が許され、意見が持てるはずなのに、情報を提示されたときに、思考が止まるのはおかしいくないだろうか。なら事実って何だとなるが、その終わりの無い葛藤が大切なのかも知れないと考えさせられた。



スポンサーサイト
| books | 20:08 | トラックバック:0コメント:0
コメント
コメントする














管理者にだけ表示を許可する

この記事のトラックバックURL
http://acchonburike507.blog71.fc2.com/tb.php/33-0d58b790
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
トラックバック
| ホーム |

プロフィール

ぷにぷに

Author:ぷにぷに
はじめまてち。
ぷにぷにでちゅ。

最近の記事
最近のコメント
最近のトラックバック
月別アーカイブ
カテゴリー
FC2カウンター
ブロとも申請フォーム
ブログ内検索

RSSフィード
リンク
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。