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REEFER MADNESS Sex,Drugs,and Cheap Labor in American Black Market by Eric Schlosser
Fast Food Nationの著者のノンフィクション。

FFNでは、著者の姿勢に大いに共感し、俺が物事を考えるうえでの大きな助けのひとつになったと思う。読めばはっきりするが、それは「他人様の国の事」と単純に片付けられないようなモノだ。今ではどこにでも存在し、うまく共存していかなければならないモノだ。「真ん中を指していた(もしくは指すべき)針が片方に大きく振れた」のが今の世の中だと俺は思っていて、バランスを欠いた社会で不利益を被るのは決まった人間達である。

制度は大方の物事を決めるルールみたいな物だから、当然、その形成に何の意思も反映されない連中からすれば、フェアに、有効に機能することを願う以外何の術も無いと思うが、価値観の議論になると伝統やら宗教やらに押され、オープンな議論は流される。

最も危険だと思うのは、意思決定の立場にある者とそうでない者の間の溝が深刻な程に大きく、それが結果的に制度の破綻を招く場合だと、少ない知識ながら俺は感じる。制度が秩序を保つ為にあるのなら、制度が引き金となって無秩序を招く事は大きな矛盾だと思う。

俺がそんな事を思いながら読んだのが、この作品Reefer Madnessで著者が題材に挙げている、マリファナと不法移民の労働の問題だ。医学的な問題であるはずの薬物が宗教的価値観に摩り替えられ、不法移民の問題がその取締りに焦点を当てられる。それが制度の奇妙な基準に置き換えられるのが、本当に現在の「正当な価値観」なのだろうか。

形そのものの完成度より、それの下の置かれる人間の問題について語る姿勢が、俺がこの著者に大きく共感する部分だ。それも、ただ闇雲に怒るだけでなく、別の道もあるのではと考えさせてくれる。

話は作品からやや飛ぶが、戦争の大儀が、恐怖への治療薬になってしまっている事や、最低限のラインで共有していた価値観が崩壊し、人々の繋がりであるべき社会が、ただの人の集まりになってしまい、実は意識においてバラバラである事が招く結果をわかっているのに、それを止められないカラクリを考え、変えていくべきだ。

読み終えてみて思ったのはそんな事。


最後にPearl JamのWorld Wide Suicideより。

Looking in the eyes of fallen

You got to Know there's ANOTHER ANOTHER ANOTHER ANOTHER

ANOHTER WAY




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| books | 02:08 | トラックバック:0コメント:0
I wish I was special
Radio HeadのCreepが熱い。

友人がくれたアルバムの中に入っていたのだが、俺としてはRipcordやThe bendsの方が音としては好きで、最初はそっちの方ばかり聞いていた。

でも、何気なく歌詞を見てみると俺にとって物凄く意味のある事が書いてある。俺の感性なんてこんなもんで、音よりもやや歌詞を重視する傾向にある。歌詞がよければ音も良くなるいい加減な耳だ。


この部分に打たれた。

I wish I was special
You're so very' special

But I'm a creep,
I'm a weirdo
What the hell am I doin' here?
I don't belong here


About a Boyと言う小説を読んだことがある。まさしく「weirdo」と表現される少年の話だ。子供なのにどこか大人びている。もしかしたら「大人びている」と言うよりは、単にそれが彼自身だったようにも思う。でも結局周囲が「weirdo]と言えば彼は「weido」だし、そうでなければそうで無い。

俺が思うのは、つまり俺等は誰かの評価の下に晒され続けるって事だ。その評価はお金だったり地位や身分であったり。それは対人関係に重くのしかかり、絶対的な評価につなげる人間も大勢いる。例えば着る物に関して言えば、ブランド物のスーツを纏った人間は、着ているものがある種のステータスになる。もしかしたら、メーカーに着させられているだけかも知れないのに。「デキる男の~」「チョイ悪オヤジ」と言ったフレーズがファッション誌に踊るが、それを見て参考にする人が「デキる男」でも「チョイ悪」でも無かったら、意味をなさないはずなのに、矛盾が広く受け入れられている。

ファッションに限った事ではないが、本質を見誤った、アクセサリーのようなモノを現代人はステータス化し、それを自分と結び付けている傾向がある。「自分=自分」と考えられないから「○○=自分」の空欄を埋めることに必死になっている。

俺はT・Yorkがどういった意図でこの詩を書いたのか全く知らないので、勝手な解釈だが、内面と本質を理解し、意味のなさないものに苦悩し「俺はおかしな奴。一体何をしているんだろう」と叫んでいるように聞こえてしまう。そんな自分を理解しつつも「俺も君のように特別になりたい」と歌うこの曲の「I」に妙な共感を覚えてしまう。
| Rock | 20:40 | トラックバック:0コメント:5
Pearl Jam and Johnny Boy
最近俺にとって久々に熱いロックアルバムがある。

以下はその感想。

俺は基本的にロックは何か意味のあることを歌わないといけないと思っている。もちろん歌詞に意味は無くともひとつの形として形成してきたロックバンドは本当に尊敬している。例えばBon JoviやAerosmith、Guns and Roses。彼等は典型的なアメリカのスターバンドだ。それを批判する者も大勢いる。だが俺は彼等が本当に好きだ。いかにもアメリカのロックナンバー。BJのLivin' on a PrayerやAeroのNine Lives、GunsのWelcome to the jungle。素晴らしい曲であり今後も何百年も歌い継がれていくべきである。誰かがカヴァーしてもいいし、ギターを弾ける奴は家で弾けばいい。俺も最初の2曲は良く弾く。…うまくないけど。

一方で、ClashやU2、Sex pistols、Ramonesのように何かに怒り何かを訴えた連中もいる(非常に短絡的な表現だが)。世の中何かおかしいんじゃないか。そんな怒りが若者に共感を呼び、若者の姿勢に大きく影響していった。その事実もまた受け継がれていくべきである。それは最近の日本のバンドが全く気にかけなくなった姿勢でもある。愛やら恋やら「いかにも売れそうな」曲を垂れ流し続けたのが残念ながらわが国の音楽業界だ。先ほどの話と矛盾するかも知れないが、それにしても国内のバンドに気力は感じられない。

パンクはアティテュード。未だにそれを基本姿勢だと信じ、人生設計までに取り入れている俺としては見逃せないバンドが最近アルバムを発表した。

Pearl Jamのセルフタイトル、"Pearl Jam"とJohnny Boyの”Johnny Boy" あれ、両方セルフタイトルだ。だが久々に「きた」アルバムだ。

PJは今回のアルバムも非常に政治的だ。彼等の曲は後半の作品が政治的なんて言われるみたいだが、実際全てを聞いているわけでは無い俺が聞いてもポリティカルだ。俺の勝手な解釈では、明らかに某国大統領への批判であり、某国の貧富の格差への批判であるように思う。それをいくつかは非常に直接的に、いくつかは非常に文学的に、ロックナンバーに収めた曲は大きな意味を持つ。

JBはさらに直接的な歌詞で訴える。俺達は第3世界を食い物にし、その報いとして爆弾テロの犠牲となる。俺達は食べるもの、着るものがアイデンティティーになってしまっている。馬鹿馬鹿しくないか?耳が痛い。

で、また身勝手な帰結になるが、俺等のような若い連中はこういう曲を聴き考えるべきだ。考えたことが無かった奴も今からレコード店に足を運び中古でいいからこういうCDを買い、聴き、考えるべきだと思う。

ロックの力とは元来こういったものだったはずだ。その辺の飲み屋で俺等のような何でもない若い連中が「なぁ、最近なんかおかしいんじゃねぇか?」そんな言葉を交わしムカつき、考えるものでは無かったか。

それすら放棄し、何となくベルトコンベアーのように流され、終いには会社のロボット、社会の「クズ」、ニートになるのは何かもったいないし、自己を形成する手段を持たないまま何となくではロックも泣く。

日本のレコード会社も大いに問題だが、まずはリスナーが変わるべき。

だから先ほど挙げたアルバムを聞いて欲しい。気に入らなくてもいい。曲の好みは多種多様。だが訴えることは意味があるはず。それは俺等のすぐ隣に位置し、すぐにでも関わってくるように思える。

| Rock | 05:13 | トラックバック:0コメント:0
Long Way to Home
貴重で何気に楽しい経験をした。

友人と飲みすぎて終電をすっ飛ばして川越に取り残された。

友人は謝っていたけど終電を無くしたのは全て俺の責任だし、そんなことより俺は久々に彼女と話せてすごく嬉しかった。音楽やサッカーやその他いろいろ挙げればきりが無い。こんな感じで楽しく意味のある事を話せる人はなかなかいない。これに関して他にもいろいろ書きたいけど胸の内にしまっておくことにする。

で、俺が言う「貴重で楽しい経験」とは川越から我が家に向けて歩く事だ。当初は友人が迎えに来てくれる筈だったのだが諸般の事情でダメになり、始発を待つくらいなら少しでも歩こうと考え、ミネラルウォーター片手に川越街道を出発。午前1時半。

人は1時間で4キロほど歩けるって誰かが言っていたが俺のペースは少し速いようで大体6キロほど歩けた。1時間くらい歩くと典型的な日本の郊外の街に出た。外食チェーン…外食チェーン…ガソリンスタンド…外食チェーン。車で通った時も退屈な街だと感じたものだが、歩いて見るともっと恐ろしい。コピーのコピーのコピー。都会の悪い部分ばかりを取り入れた結果、外食チェーンの植民地にされ、あんなつまらない街になってしまったのかな。夜中だったし外食チェーンの動物マスコットやカーネルおじさんの置物が不気味な感じになっていていい肝試しスポットなんじゃない。

3キロ、4キロと歩いても別に疲れなかった。知らない場所を歩くのがすごく楽しかったし、街づくりに興味がある俺としては郊外の典型的な例を目の当たりにしていろいろ勉強になった事もあった。デニーズやケンタッキーやパチンコ店やサラ金に囲まれて育った子供の世界ってのはどういうものになると考えると恐ろしい。

10キロほど歩くと土のにおいも消えいよいよ都市部に近づいてきた感じがした。不思議と疲れはそんなに無く音楽を聴きながら歩いてきたけど、それまでは街灯もろくに無い真っ暗な道も多かったけど、このあたりは明るくどこか機械的だ。車で飛ばしていたら気が付かないと思うが、いかにバカバカしい街づくりをしたものか。ショッピングモールも問題だけどチェーン店ばかりでは結局町全体がモール化したようなモンで独創性ゼロ。

歩き続けて約20キロ、空も明るくなってきて足も痛くなってきた。音楽プレーヤーの電池も無くなりかけたため、近くの駅の始発に乗って帰路に着いた。

川越から和光まで、何気に楽しく歩けた。歩くのは良い事だと本当に実感した。その意味では終電逃したのも別に悪いことじゃ無かったと思う。そりゃ最初はへこんだけど、考え方によってはどんな状況でも楽しむ事ができるってのが良く分かった。

| 未分類 | 01:02 | トラックバック:0コメント:4
Ed TV
某アメ横でビデオが300円で売られてたので買ってしまった。まさかパイレーツじゃないだろうな。

31歳にもなってフリーターを続ける冴えないアメリカの青年、エドが、「True TV」と言うある人物の生活を24時間体制で監視し、その模様を生放送する、と言う番組のオーデションに合格し、自身の私生活をさらけ出しながらスターダムにのし上がると言うコメディ。

コメディとは言うものの、どうにもこうにも笑いで済まされない作品。映画を見ながら何が引っかかったと言えば、それはホリエモンであり、サッカー日本代表or中田であり、最近の某ボクサーであったり。そんな意味ではメディアが映す「真実」とは何か。それを改めて考える良い機会になった。

TV局は、当初はエドの生活を文字通りありのまま、何の脚本も無しに電波に流し続ける。始めの方こそ視聴率は泣かず飛ばずだが、エドの恋愛関係が映し出されるようになるにつれて徐々に大衆は興味を持ち出し、気が付いたときには社会現象化してしまっている。エドもスターの地位に大いに満足し、取り巻きはエドに言い寄り、その恩恵にあずかろうとする。すると今度はTV局側が「次は~したほうがいいんじゃないか」「~と付き合えば面白くなるんじゃないか」と筋書きの無いはずの番組に口を挟むようになり、気が付けばエドはTV局の思うがままの操り人形。そして彼は徐々に疑問を感じていくようになる。

ここでは巨大な権力を持ったマスコミが、いかにして個人をスターにのし上げ、それに大衆はどのように答え、結果「真実」や「尊厳」の無い世界を作り上げ、それに踊り狂う世界が描きだされている。それは非常にバカバカしく何の意味も無い。

TVで顔が映れば31歳のフリーターでもスターになれるのである。普段誰がこんな男を気にかけるだろうか?彼が面白い人間だとか、そういった事はここでは意味をなさない。「TVに映る」事が人間の価値を決める。だが残念ながら俺等はその価値を吟味する術を持たない。

この映画で、完全に第三者の立場として鑑賞すると、メディアに煽られた大衆とは恐ろしいものだと言うのが痛いほど分かる。身近なところでは、テレビ朝日は「絶対に負けられない」と叫び、TBSは兄弟ボクサーを売り出し、俺等はそれに熱狂したわけだが、かたや惨敗、疑惑の判定が出てくるとご覧の通り。

亀田は本当にあのような礼儀知らずの男なのだろうか。中田英寿は作り上げられた男なのだろうか。そんな疑問を持ったならこの映画を見れば自分なりの答えを出せる。

「それを考えること自体が今は馬鹿馬鹿しい」

真実を知る術などハナから俺等には無い。

| 未分類 | 04:31 | トラックバック:0コメント:0
ドラえもんは観ずに読め。
「ドラえもんと藤子F不二夫(とブラックジャックも)は間違いなくロックンロールだから子供に積極的に読ませろ」と勝手に周囲に触れ回っている俺にとって、許せないのがテレビ朝日で現在放映されているアニメ版のドラえもんと訳の分からん「長編映画作品」を垂れ流し続け、「ザ・ロッカー・藤子」の面を汚し続けた藤子プロである。しかも番組が一新されてからは見るに耐えない。純粋無垢な子供たちを洗脳するB級アニメに成り下がってしまった(声優も含め)。

アニメのドラえもんには、原作での皮肉の効いた表現、社会風刺、自然環境や動物への敬意、変わる事の無い友人関係etc原作者が意図し伝えたかったメッセージがどのくらい込められているのだろうか。そしてありありと見せるシリアスな小学生の日常をどのくらい描いているだろうか。

番組刷新後のアニメをちらほら見ていて残念に思うのは、毒にも薬にもならない無害な作品に成り下がってしまっている事だ。これを「お子様ランチ作品」と呼ぼう。ファミレスなどのお子様ランチには子供の好きそうな食品や飲み物ばかりで、嫌われがちだが重要な野菜や果物の類は含まれない。それと同じで、ドラえもんの原作には一見すると子供には苦々しい表現かも知れないが作者の意図する重要なメッセージが含まれる。しかしアニメではそういった一見シビアなモノは表現されず、子供向けの、嗜好に合わせた意味の無い「ポケモン」のような作品になってしまったように思える。

俺の小学校時代は、親の仕事の関係で校内の「育成室」と言う収容所に夕方まで収容されたのだが、そのゲットーにてんとう虫コミックスのドラえもんが全巻揃っており、何度も何度も繰り返し読んだ。それまでは、アニメや映画でしか知らず(当時のアニメはまだ藤子路線を踏襲していたが)、漫画で「リアルなドラえもん」を体験し、はっきり理解したかどうかは別としても、何となく捉えたシュールな話に友達と笑い合ったのを覚えている。

具体例を挙げればキリが無いが、大まかに言えば、ドラえもんは時にぶっきらぼうで、現実的で、どこか冷めた発言をのびたにするし、のびたはドラえもんの道具で残酷で非常に身勝手な妄想を抱いて、結果失敗しそこから痛い目を見て学び(思い知らされ)、静香に性的な興味も抱く。こういう風に書くと、どこかダークなイメージが漂うが、それは感情をうまくコントロール出来ない社会的に未熟な小学生なら誰もが経験することであり、成長の通過点に過ぎないある意味「健全な」ものである。ジャイアンはどこかの独裁者のような側面もあり、スネオは陰険な側面もあるが、そういった残酷な側面はどの小学生も持ちうるモノで、言い換えれば純粋なモノなのだと思う。静香が「良い子」の型にはまらない(もしくはそれから逸脱した)場面もいくつもある。

また原作では、大人社会と子供の社会との接点を微妙なバランスで描き、それをドラえもんの道具を通して目の当たりにする場面がいくつも見られる。そうして彼等は互いに協力して成長し、ひとつの作品を通して大きなコトを学ぶ。それは「大長編」の形でもあった。

しかし、そういった側面は原作者の他界とともに、急速に薄れていき、アニメは「仲良しこよしピーヒャララ」の意味の無い駄作に成り果て、大長編はのび太がスーパーマンになることでどんな問題も解決してしまう、ありえない傾向に変わってしまった。

藤子作品の「大長編」を読めば分かるように、いろんな作品にいろんな教養が埋め込まれ、楽しく学べる素晴らしい教科書のような作品が藤子の作品だったはずだ。俺には「日本誕生」は「人類皆兄弟」と平和を訴える作品だったし、「アニマルプラネット」や「海底鬼岩城」で人類の愚かさを感じ取り、「宇宙開拓史」なんか馬鹿な企業犯罪が横行するこの頃のテーマにぴったりのように感じられる。

そうしたメッセージがどこまで今のアニメや映画に繁栄されているのだろうか。

だからこそ思う。子供達は「藤子F不二夫のドラえもん」をまず「読むべき」だ。理解できなくてもいいから、そこから何かを感じ取って、ロックな人間になるべきだ。

少なくとも俺の子供には「ドラえもん」を読ませ、ロックを聴かせ(出来ればギターで弾けるくらいになればなお良い)、サッカーを教え(できればGKだな)、ロックな人間に育てるつもりだ。

…最後、話が訳の分からん方向に行ったが、要は

「ドラえもん」は読め。ってコト。
| ドラえもん | 01:50 | トラックバック:0コメント:0
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