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ぷにろぐ

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ざっと2(ユウナと付き合いたい)
最近見た映画&プラスαについて


フーリガン


イライジャ・ウッド主演の映画。
ハーバード大学を友人の麻薬問題の罪を被り(着せられ?)放校になった学生(ウッド)が姉のいるイギリスを訪ね、フーリガンのファームに入ると言うお話。実はちょっと前に見た作品だったので主人公がどこのチームのファームだったかよく覚えていないのだが、確かウェストハムだったと思う。ちなみにファームとは欧州のプロサッカーチームに着いて回るフーリガンの団体のようなものらしい。「どのチームにもファームがある」と作中で説明されている。

主人公の姉の夫の弟がファームのリーダーで、いろいろあってフーリガン達と過ごすようになり、気が付けば彼らの文化、生活の魅力にとりつかれていく感じで話は進む。俺のフーリガンのイメージは録に仕事もせずに酒と暴力に生きがいを見せる連中だと思っていたのだが、後者の2つはともかく、作品内の全員がまともな仕事に就いていたのが意外と言えば意外。

作品内は暴力の嵐。当初主人公はその環境に戸惑いを見せるも、徐々に「男の本能」を、そして相手サポーターと流血沙汰の喧嘩に自分の拠り所を見出すようになる。

この作品はアメリカ人の主人公の視点で書かれているので、微妙な文化的ギャップも面白いのだが、やはり「暴力」に帰結している部分がとても「マッチョポルノ」的だ。「マッチョポルノ」とは誰かが映画「ファイトクラブ」を指して言った言葉のようだが、基本的なコンセプトはファイトクラブと非常に似ている。

女が入れない、理解できない男の世界。全ての男の憧れだ。俺も観ていて非常に爽快な気分になり軽く興奮する。これから喧嘩に行くファームのメンバー達、数時間後の相手サポーターとの殴り合い、これは非常に爽快だ。

実は俺は自分を「女性的」だと思っていて「男性的な物」を毛嫌いしている部分があったのだが、ファイトクラブやこの作品を観てふと思ったことがある。俺が毛嫌いしてきた「男性観」が実は非常に女性的だったからこそ嫌悪していた。「女のような」とか「女々しい」とか表現するとフェミニストに嫌われそうだが、マッチョポルノこそ昨今の女性化した男性観を取り戻す意味が込められていた。

くだらない中身のないファッション誌や書籍が「出来る男の云々」を説く中、それに全く共感できなかった答えが多分ここにあったのだと思う。中身を、意味を直視しろ、と。「男は中身だ」と言えばかなり古臭いものだがそれは一応の説得力と男の誇りを保つものだったのかも知れない。

話が映画からそれたがその意味で俺は非常に男性的だと確認した。別に暴力を肯定する気は無いし、この映画のオチも一応の疑問を投げかけている。そのオチで視聴者の男性的な興奮は一気に冷めるあたりが現実に引き戻される感覚を体験させてくれる。

こんな意味では面白い作品だと思うし、観て損はないだろう。


刑事コロンボ

待望のDVD化だった。最近出てきたようだ。映画の吹き替えなどクソだと言って憚らないが、コロンボだけは吹き替えかなぁと。おそらく、小さい頃からTVの洋画劇場で見てきた一風間抜けなコロンボと実際のピーター・フォークの声とにある種のギャップを感じているからだと思う。
俺にとって実際のP・フォークの声は格好良すぎるのだ。だから日本語吹き替えのちょっと間抜けな声に「コロンボ警部(補)」を見る。

何かと比較される古畑も好きだがやはりコロンボ。決定的な違いは、古畑は風変わりだとは言えどこか高級感漂う男だ。身なりもしっかりしていて、乗る自転車は金ぴかだ。一方コロンボ警部は庶民的な小男で一歩間違えればホームレスのような人間だ。愛車のプジョーはスクラップ同然の盗難車のようでおまけに奇妙な咆哮を出す。そんな警部が相手にするのが社会的に1流の地位にある犯人だから面白い。犯人と会うとまず彼らの家や身なりにため息をつき羨みを見せる。「あたしの給料じゃ到底手が届きませんよ」と。庶民の一般視聴者の目線で見るから、視聴者もコロンボと同じ視点になれるのではないかと思う。だから「見易い」。古畑が彼と犯人の対決に全ての焦点が置かれるのと違って、どこか別の世界を覗いた気分になれるのがコロンボのもうひとつの楽しみ方なのかも知れない。


ファイナルファンタジーX

最近ゲームは殆どやらない。数年前の大学受験後の暇つぶしにPS2を買いはしたが、それも友人に売り飛ばしてしまった。でも最近その時買った作品をその友人に「ちょっと貸して」と頼みまた始めた。

FFXのストーリーは素晴らしすぎないか。多分映画を観ている感覚で進められるから話の中身を重視する俺の印象に強く残ったのだと。世界中で暴れまわるシンを倒すには主人公のユウナの命を懸けなければいけない。宗教の教えに支配された世の中は一見平穏ではあるが見えない矛盾を多く抱えている。そんな世界に「自分の頭で自分の事を考えよう」と活動する差別された種族達、そしてティーダと彼が毛嫌いするオヤジとの関係。くだらないB級映画よりはよっぽど見応えのあるストーリーだと思うけどねぇ。て、言うかどこかゲーム的なストーリーの映画ってたくさんあるけど、それに比べてもかなり良い物語だと思う。

「世界中の人のために」と自分の命を懸けるユウナの異常なまでの献身的な姿勢がツボっちゃそうだが、見所は彼女の命を守ろうとする周りの動きだ。登場人物はユウナの命をかける事に多少の疑問は感じているんだけど、「そういうしきたりだから」と思考停止に陥っているわけ。それは世界を支配するエボン教と言う宗教が大きく絡んでいるんだけど、そんな伝統がちがちの世界に別の世界から来た少年と少女が風穴を開けようとする。で、結局は世界を支配する宗教の指導者も裏では腐敗が進んでいる訳で、教えを利用して民を都合よく支配する構図がもの凄く現実的にもリアルで良い。結局最後にはちょっと悲しい結末が待っている訳だけど、本当にこのストーリーは凄いよ。

クリスマスイヴも世間とは離れて明け方くらいまでやってたしね。

あ~ユウナかわいい。ユウナのガードになりたい。

Green_Street_film.jpg

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| 映画 | 21:17 | トラックバック:0
25時
この映画を見るのも4度目くらいだろう。かなり好きな作品。

何度も見ていると細部まで捉えられるようになって新たな発見があるもの。性格なのか理解力の欠如だか分からないけど、本や映画は2度目にはっきり意味を理解することが多い。この作品は4度目だけど新たに感じるものもあった。

ストーリーは麻薬の売人モンティ(E・ノートン)が薬物の所持を密告され7年の刑期を食らう。彼が収監される前日の、シャバで最後の1日を描く作品。

ある有名な日本の映画監督がこの作品をぼろくそに批判していて、曰く「売人の気持ちなど理解できるわけが無い」とか「(モンティは)自業自得じゃないか」とか。

まぁそう見ればそうだな、とは思うが、当然監督のS・リーにはいろいろな意図がある。この人の作品は全て、何らかのメッセージが含まれていて、エンターテイメント性が強い最新作のINSIDEMANにもそれが見て取れる。DVDに未収録シーンが付いていて、その一部を入れると作品の焦点がずれてしまうものもあった(焦点が密告者探しになりかねないようなシーン等)ので、作品の意図がそのまま「麻薬の売人」と言う事実に焦点を当てるものでは無いと思う。

とは言え、売人が初犯で7年食らう現実も描いている。ちょっと前にあるジャーナリストが出版した本を読む前には知らなかったのだが、アメリカの麻薬に絡む法律はいろいろと問題があるらしく、刑罰の焦点が現実的では無く、宗教的なものになっており、構造からしても非常に不公平なものになっているらしい。この映画の中でもモンティに刑事が「アメリカにはロックフェラー法があり、初犯でも判事の気分次第で刑期がかわる」ような事を言うシーンがあって、多分この場面では法律の構造の問題点を見せているのだろうと思う。

この作品を俺が好きな理由に、モンティを取り巻く登場人物の描写が非常にリアルな事が挙げられる。登場人物はひとつの性格だけ見せる訳ではなく、場面や相手などによって様々な顔を見せている。モンティには2人の幼馴染(フランク、ジェイコブ)がいて後半は彼らの友情と葛藤が描かれる。やり手債権ディーラーのフランクに地味な教師のジェイコブ、売人のモンティの関係は彼らが共有した時間が培ったものだが、それが明日から崩壊の一途を辿るかも知れない。そんな状況で彼らは仲間について議論を交わす。地味なジェイコブがシビアな勝ち組のフランクに「7年経っても俺たちは友達だ」と言うがフランクは「お前は分かってない。俺たちの関係は今夜で最後だ」と一蹴する。だがフランクは別の場面で刑務所を不安がるモンティに「俺はお前を待っている。出所したら一緒に事業を始めよう」と熱く語る。

人間同士の関係は決してフラットでは無い。どんなに親密な関係でも個人と個人の間には様々な事情によりある種の優劣みたいなものが必ず出来ている。それを打ち破った時に本音が出るのだが、人間は扱いきれないくらいの様々な事情や関係を抱えているためになかなか仮面を取ることが出来ない。そんな場面がたくさん含まれているからこの作品はリアルなのだと思う。

単に男の友情を描いた作品では無い。全てを失うことに直面した時、そこには個人的な優先事項がはっきり出てくる。何かの形で最後が訪れる事など普通の人間は考えない。だけど、最後に直面した時に、自分が優先させるべきものがはっきり見えるのだと思う。そんな時に自分ならどうするか、一度考えてみるのもいいのかも知れない。
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| 映画 | 17:37 | トラックバック:0コメント:0
INSIDEMAN
スパイク・リー監督の最新作。

劇場公開の時から気になっていたけど、ようやくビデオで出たので早速借りてきた。

スパイク・リーと言えば人種問題を中心とする社会的なテーマで有名だ。Do the right thingやマルコムXあたりが有名な作品だろう。個人的にはちょっと前の「25時」と言うエドワード・ノートン主演の映画も好きだけど。

過去の作品は直接的にそういった問題を訴えるものが多かったような気がするけど、最近では、例えば「25時」のように、日常の中の複雑な問題を映画のテーマとはまた別に浮き彫りにさせるような感じで、妙にリアリティーがある。

それは今回見た作品もそうだ。



(以下内容を含む感想)



NYの銀行を強盗団が銀行を襲う話だが単なる銀行強盗では無い。ものすごく頭が切れる。対するは黒人刑事2人組のネゴシエーター。彼らのやり取りが非常に面白い。

この映画の評判は知らないけど、犯人が人質全員に自分たちと同じ服を着せる筋書きはちょっと話題になったような気がする。手際よく銀行に押し入り、服装で人質と自分たちの区別をあいまいにし、警察を撹乱する。しかし、彼らの要求は見えてこない。金か、それとも別の何かか。犯人と刑事の交渉の様子が凄く面白い。

多様な人種が混在するアメリカ。いくつものシーンで人種の多様さが描かれている。単純なサスペンスやアクションでは絶対に描かれないリアルさ、焦点は強盗と刑事なのに、そういった社会的事実が感じられるのがスパイク・リーらしさなのだろうか。

例えば犯人と同じ格好で解放させられたアラブ系人質。刑事は彼に「同時多発テロ後の対応」をする。犯人が操作撹乱のため流したアルバニア語のテープ。刑事は「ホットドッグの屋台をやっている奴なら翻訳できるかも」と言う。屋台の人間に移民が多いのかは知らないけど、昔見たスリーパーズと言う映画に出ているホットドッグ屋台の人間は移民だった。こういったところに「アメリカ社会」があるのかも知れない。

オチを言えば、この映画は一応犯人の勝ちで終わる。その動機もまた、歴史を超えた民族感情なのだが、これを書くと決定的なので伏せておく。オーシャンズ11とは全然違う痛快さ。後半で強盗に遭った銀行の頭取の過去が大きく絡んでくるのだけど、その事実が単なるエンターテイメントで終わらせて無いのかも知れない。

個人的には面白かった作品。彼の過去の作品には見ていないものもあるので今後チェックしていこう。


Inside_Man_28film_poster29.jpg

| 映画 | 04:04 | トラックバック:0コメント:0
taxi driver
若き日のロバート・デ・ニーロ主演の映画。

海兵隊を除隊したトラヴィス(デ・ニーロ)がタクシードライバーの仕事を得るものの、クソ面白くも無い人生、掃き溜めのような社会に怒りを抱き、怒りに任せて彼を振った女が支持していた大統領候補を暗殺しようとするお話。

30年程前の作品なので、これまたラストを言うが、こういった映画に見られる絶望的なオチではないところが意外である。

作品の後半を除いて、描かれる彼の人生は絶望的だ。海兵隊を除隊してタクシーの職を得たものの、彼の目に入るのは自身の人生への嘆きと、それをぶつける対象としての腐った世の中だ。

彼は言う。「俺は孤独だ」と。友人も無く、仕事もクソ。好きになった女には振られる。何もうまくいかない。さらに彼が車で流す街は掃き溜めの中のクソ以下だ。彼は無知で不器用。そんな社会に怒りを感じるが、何がおかしいのかうまく説明は出来ない。そんなトラヴィスは徐々に過激な思想を抱くことで、世の中に復讐を企てる。

ありがちな展開ではある。こういう話の場合、大抵は主人公に未来は訪れない。別に主人公が悪人では無いのだけど、社会が受け入れない人間は悲惨な末路を辿るものである。職業はある意味では関係ない。この前見た「ファイトクラブ」はホワイトカラーが主人公だ。もちろん職業の社会的地位は、それを肯定するにしろ否定するにしろ、明らかに存在するので、考慮に入れないのはおかしいかも知れないが、要するに彼が自分を直視できるかどうか、そんな極めて人間的な問題にたどり着く。

トラヴィスはものすごく間違った方向へ進もうとしていた。怪しいバイヤーから銃を買い、上院議員を暗殺しようと企てた。だが彼には出来なかった。直前でSPに見つかってしまったのだ。彼は逃げ延び、今度は12歳の家出少女(ジョディ・フォスター)を売春させていた組織から彼女を救うため、メンバーを怒りに任せて銃殺する。その時は、もしかしたら「女の子を救う」と言う意識よりは、彼の社会への怒りが動機だったのかも知れない。自分の境遇を社会に照らし合わせ動機を持つ連中はいくらでもいるが彼もその一人だった。

ただし売春させられていた女の子への気持ちは本物だった。不器用な彼は彼女に熱い説教までした。結果として彼女の耳には届かなかったが。

そして組織のメンバーをぶち殺したところで警察が到着する。彼は、売春組織から女の子を救ったとして英雄に祭り上げられる。この結果は彼が予測していたものでは当然無い。たまたまそうなっただけだ。

ラストは彼を振った女を客として車に乗せるシーン。「新聞で読んだわよ」と彼を讃える女。トラヴィスはどこか満足そうだ。目的地で彼女を下ろし、金を受け取らず去っていく。新しい人生の始まりだ。

映画の中では彼は「たまたま」うまくいっただけだ。だが、それが視聴者に希望をもたらす。真面目だが不器用で無知な彼が救われるのは、見ている側にも救いなのだ。ふざけた世の中だが報われる人が報われるべきだ。それは架空の話の中だけと思わない事が大事なのかも知れない。

見て思ったのは、彼のような真面目な人間はいつか必ず報われる時が来るべきなのである。間違った方向に進んだ彼の道を修正したのが神様なら、それはそれでいい話じゃないだろうか。

Taxi_Driver_poster.jpg

| 映画 | 04:45 | トラックバック:0コメント:0
反社会人
The first rule of fight club is You do not talk about fight club.

Fight Club、ブラッド・ピットとエドワード・ノートンが出演する映画である。

俺が高校の時に初めて見て以来、もう10回近く見ている作品だ。これ程、メッセージ性が強く、痛々しく、虚しく、そしてどこか爽快な作品はなかなか無いと思う。

「単なる暴力映画」「オチが意外」など表面的な捉えられ方もされたみたいだが、この作品の本質はそんなところにあるのでは無い。俺も一番初めに見た時はその中身を確実に捉えてはいなかった。今もそうだが、当時は今にも増してナイーヴな、無知な人間だったから、単に「タバコを咥え何かに反抗しているタイラー(ブラピ)がかっこいい」程度の認識しかなかった。それでも、その後何度も見続けて来たのは、一応その時感じるものがあったからだろう。

大手自動車会社に勤める、いわゆるヤッピーの主人公(ノートン)とタイラーが、週末に男同士が殴りあうためのサークル「ファイト・クラブ」を結成。それは徐々に勢力を拡大し、最終的に「メイヘム計画」で金融街を爆弾で壊滅させる。もう何年も前の映画なので決定的なネタを言うがタイラーは主人公が創り出した意識上の人物であり、実際には存在しない。

おもしろいのが、作品内で主人公は最後まで名前が無い(明かされない、と言うべきか)。ラストのエンドロールでも「ナレーター:エドワード・ノートン」として紹介されている。映画を見れば分かるが、主人公は最後を除いて「自分」と言う認識をうまく持てていない。高い地位の仕事に就き、高級アパートに住み、高級北欧家具を磨く事でストレスを発散しているが、彼は何年も不眠症だ。がん患者や喘息患者のサークルに侵入し、まやかしの癒しを得る。そんな時、彼はタイラーに「出会う」。

タイラーは主人公とは全く逆の人間だ。もちろん主人公とは一身同体なのだが、そこが主人公の人生への葛藤を浮き彫りにさせ、そしてタイラーに同調するようになる。以下にタイラーを象徴する作品内の台詞を挙げる(殆ど字幕からの引用だが、ごく一部は俺の判断で変えている)。

●主人公の自宅が火事に見舞われ、自慢のブランド品の数々がパァになった事をタイラーに酒場で嘆く。それに対して…
タイラー「デュヴェを知っているか?」
主人公「ふとん?」
タイラー「いや、正確には毛布だ。だがなぜその名を知っている?生存のための必需品でも無いのに皆が知っている。それは何故か?」
主人公「消費文明の世の中だから?」
タイラー「そう、我々は消費者だ。ライフ・スタイルに仕える奴隷。殺人、犯罪、貧困を誰も気にしない。それよりアイドル雑誌にマルチ・チャンネル、デザイナー下着、毛はえ薬、インポ薬、ダイエット食品…」
主人公「それにガーデニング」
タイラー「ファック・ガーデニング、タイタニックとともに海に沈めばいい。(火事で焼けた)ソファなんか忘れちまえ。パーフェクトであることをやめろ。頭を切り替えて自然な生き方をしろ」
主人公「いいんだ、たかがモノだ。保険もかけてある」
タイラー「お前はモノに支配されている」

●バスの壁のジムの広告を見て
主人公のナレーション(人を見る目が違ってきた。こいつはファイターかどうか。ジムに押し込められ、カルバン・クラインやトミー・ヒルフィガーのようになろうとしているアホども)
主人公「あれが本当の男か?」
タイラー「ワークアウトはオナニーだ、男は自己破壊を

●ファイトクラブ開始の前口上で。
タイラー「君たちは素晴らしい知力と体力に恵まれている。だが伸びるべき可能性は潰されている。職と言えばガソリンスタンドかウェイター、奴隷のように仕えるサラリーマン。宣伝文句に踊らされて、必要の無い服や車を買わされる。俺たちは歴史の狭間で生きる目標が無い。世界戦争も無く恐慌も無い。俺たちの戦争は魂の戦争。毎日の生活が大恐慌だ。TVは言う『君も明日は億万長者かスーパースター』。大嘘だ。その現実を知って、俺たちはムカついている

こうして見ると反体制ティーンが騒ぐ青春映画のような台詞である。しかし、彼らは紛れもなく「社会人」。その事実が、青春映画に見られる「理想を語る青臭さ」を感じさせず、リアルな現実感が襲いかかってくる。主人公はいわゆるX世代。両親が離婚し母親に育てられた。タイラーはそれを「子にとっての神である父親に捨てられた。俺たちは神に見放された子なんだ」と言う。高い教育を受け、物質的にも豊かでそれなりの職もある。だが気が付けば恐ろしく虚しい感覚に襲われる。彼らはそんな環境で個を見失い名前を取り上げられたのだ。

このブログのタイトルの「反社会人」とは、土曜に飲んだ友人の一人が言っていた言葉だ。彼がこれを言った意味は別にあるが、俺が思い浮かんだのがタイラーであり、この映画だった。実際彼らは終盤で反社会的な行動をとり壊滅していくのだが、それに関係なく、ファイトクラブは自分や環境に疑問を感じた連中の発散の場。どこかの国の元サッカー選手のように「自分を探す」時間も金もあるわけではない。平日に社会人である彼らが、週末に真の姿「反社会人」になれるむさいオアシスだった。

しかしタイラーの暴走が破滅を招く。彼は軍隊のような組織をクラブ会員で作り、ビルの放火や飲食チェーン店の破壊などテロ行為によって、文字通り地下活動(酒場の地下でやっていた)だったファイトクラブが地上に出て、社会を相手に喧嘩を始めたのだ。それが彼の最大の失敗でもあった。タイラーは決められた価値観を押し付ける社会への反発でファイトクラブを組織したのだが、自分の価値観を社会に押し付けるべきではなかった。それが、彼が最後に単なるテロリストに成り下がった原因だったと思う。

主人公はタイラーの暴走についていけなくなり、金融街を爆破し「借金をゼロにする」メイヘム計画の中止に奔走する。その過程でタイラーから「俺はお前が頭に描いた自分の理想像だ」と告げられる。頭が良く、何にも縛られないタイラーは主人公の空想の憧れだったのだ。いいアパートに住み、いい服を着て、高級家具を磨く自分自身の姿は社会が認めるポーズに過ぎなかったと彼自身も分かっていたのだ。これがもし、いいアパートを、服を、家具を、そんな自分を本当の意味で心から愛していたならタイラーは誕生しなかった。それはこの前読んだアラン・ド・ボドンの本にも通じるものがある。ただ自分を積極的に変えるか消極的に変えるかの違いだと思う。

最後に彼は自分を拳銃で撃ちタイラーを殺す。そして爆破されるビル群を見ながら「これから全てが良くなる」と悟るのだった。

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| 映画 | 18:51 | トラックバック:0コメント:2
Crash
久しぶりに良い作品を見た気がする。

人との繋がりが薄れた街で、本気の会話が生まれるのは自動車事故の時だけ。なぜならみんな車に乗っているから。

モータリゼーションの典型のような街での、人の根本を描いたような作品。人種的な問題が焦点になっているとの解説が主流みたいだけど、個人的には個々の感情的なものが印象に残って、それが車社会の希薄さと妙な対象になっていて、かなり良い作品だったと思う。

この作品では登場人物のみんなが車で移動する。何かで読んだのだが、このLAと言う街は砂漠を開拓して作った、歴史の浅い、ある意味日本の郊外のモデルのような街で、一見多種多様な人間が混在して住む街に思えるけど、実は意識の中ではそれぞれの階層に分断されていて、「人種の坩堝」と言う言葉がいかに馬鹿馬鹿しいかよく分かる。

日本と違うのはやはり「人種」と言う分断なのだろうが、この作品を見ていて、人種と言う区切りの根強さは感じるにしても、実はそういった社会で人々が意識しているのは自分の家族だったり、恋人だったり、人間の根本的な感情の部分だったりするのがよく分かる。もちろん、複雑な社会だからこそ、そのようなものを最も大事するしか無いのかも知れない。そしてそれを増幅させるのが人種間の憎悪なのかも。それはこの作品の至る所で嫌と言うほど描かれている。

話は少し飛ぶが、この前、埼玉のある典型的な郊外を車で通り、その何日か後、俺の失態(終電をすっ飛ばし自宅方面へ歩く事に。)で20キロほど歩く羽目になったのだが、車で通るのと、歩いて見るのとでは感じ方が全く異なることに気付いた。

車で走ると凄く便利で楽しい土地なのだが、歩いてみると退屈で馬鹿馬鹿しい。別にLAと埼玉が全く同じだなんて思っちゃいないけど、モータリゼーションがこの作品の背景なら、それはそれで共通する部分があると思う。

ベルトコンベアーに乗った感じとでも言おうか。車の中で生かされ、車の中が自分の空間と言うように感じられる地域だった。歩いてみるとものすごく不便で、何にも出来ない。だが車に乗っている限りでは便利なのだ。その一方人とのコミュニケーションは薄れて行き、社会として成り立たない。

本来「地域」とはどういうものか。それを考えれば、この映画で描かれている地域が、いかに虚しいものか分かると思う。この作品自体は割りとポジティヴな内容だ。だけど、よく見てみると、それはネガティヴな社会に何かポジティヴなものを見つけようとする姿勢に過ぎないのでは無いか。地域社会を捨てて、自分の取り巻きだけに愛情を注ぐ姿勢など明らかにそうだと思う。

それこそ今日本の社会で起きようとしている事ではと思わずにはいられない。

作品の中では人を何かの基準でしか判断しない人間が殆どだ。それを「人種」と言う区切りで片付ければそれまでだし、その問題が根深いものなのも分かるが、ただそれを超えようと、理解しようとする姿勢がないあたり、「人種の坩堝、自由の国アメリカ」のあほらしさが伝わってくる。

一方、一応の「単一民族国家」である日本で起きているのは経済的な身分の階層であり、それがごちゃ混ぜにならないように作られる世の中だ。これが進行した時に起こるのが違った意味でのアメリカ的な社会なのだと思う。

いずれにしても人間同士がお互いを馬鹿げた基準で判断して理解できなくなる世の中が一番馬鹿らしい。犯罪が増えた、と騒ぎながら、犯罪が増えるような街を作ろうとしているのはいったいどこのどいつか。そのことを少しでも憂うなら、少しでも地域が機能するような街づくりを進めたらどうか。そうでなければ、いずれこの映画のように、自己愛に走り、社会を見捨てた世の中になるのは間違いない。
| 映画 | 03:49 | トラックバック:0コメント:0
History of violence
久々に何が言いたいのかよく分からない映画を見た。


(以下、物語の結末を含む感想)




オレゴン州(確か)の田舎に住む家族の「良き親父」の話。

田舎町でダイナーを経営する、勤勉な良き父でもあり、愛妻家と言う非の打ち所の無いような男、トム(確か)が店にいる時に強盗に襲われるのがこの話の始まり。映画自体はその強盗がモーテルで店主一家を殺害するシーンから始まるのだが、その意味がよく分からない。

銃で武装した2人組の強盗に押し入られたトムは女性従業員が襲われそうになるのを見て、強盗の一人から非常に手際よく銃を奪い、2人を射殺する。ちなみにこの時、頭に弾を食らい顔がぱっくり割れた強盗の描写があまりにリアルで以前ネットで見てしまった「本物」の写真を思い起こさせ気分が悪くなった。

で、ならず者二人をデューク・東郷ばりのアクション(隙を突いてコーヒーメーカーで頭を叩き割り、銃を奪い射殺)で仕留めたトムは一躍町のヒーローに祭り上げられマスコミに囲まれるようになる。しかしトムは「そっとしておいてくれ」と言わんばかりにマスコミから遠ざかろうとする。そんな折、3人のギャングが彼の店を訪れる。トムは「全く知らない奴ら」と突っぱねるがギャングの口からトムのとんでもない過去が暴かれる…、と言う感じで話は進む。

あらかじめ主人公の人物像を視聴者に植え付け、そこに見知らぬ他人が訪れる展開は、俺の印象だと「実はそいつらは主人公にしか見えていなかった(空想の人物だった)」と言うファイトクラブ的な落ちが強いのだが、今回はその心配は無用だった。

トムは過去に本物のマフィアのメンバーであり、彼の暴走振りは有名だった。彼に目玉をえぐられたマフィアのメンバーがTVに映る彼を見て訪ねて来たのだった(トムの兄はマフィアの親分であり、ギャングはその兄に派遣された下っ端のような設定だったと思う)。

勤勉な家族思いの父がちょいワル…いや、それならレオンを購読して、そこに描かれた格好を真似て、葉巻を吸えば誰でもなれる。だが彼はマジなワルだったわけだ。

当初は家族にも隠し通していたが、先ほど訪ねてきたギャングを非常に手際よく殺したところ(裏拳で鼻をふっ飛ばし、銃で射殺)を愛妻に見られ、いよいよ嘘もつけなくなってくる。

妻や息子の信頼を失い彼は真実を話す。悪人だった俺は他人のIDを使って別人になりすまし、人生をやり直そうとした、と。しかし妻はますます引くばかりで温かかった家族に決定的な溝が出来てしまった。妻に対してレイプまがいのセックスに及ぶほど、彼は絶望の淵にたたされていた。

その結果彼は、ヤクザの親分の兄の下を訪ね、まるで過去にけじめをつけるかのように兄も含むメンバーをぶち殺して帰宅する。そこには父の分の食事を用意し、彼を受け入れようとする家族がいた…


見終わっていろいろ考えてみた。だがさっぱり分からない。分かるのはトムが非常に有能な殺し屋であることだ。実際殺しのシーンに妙な力が入っているのが分かる。妙にリアルな射殺体がたくさん転がっている。このあたりは、まるでゲームやアニメのようにきれいに人が死んでいく映画のシーンとは一線を画しているのかも知れない。

家族のつながりについて感じる部分が無いわけでも無い。愛する夫が人殺しだったら誰でも困る。突然侵食される日常が人に及ぼす影響。誰でも平穏な生活を維持したいはずだ。ところがダンナがマジワル親父だったら洒落にならない。その時、妻の前にいたのは全くの別人だったわけだから。

全体的にトーンが非常に暗い。だからだろうか、もやもやした物しか残らない作品だ。いやー、反応に困るよ、ほんと…。historyofviolence.jpg

| 映画 | 01:36 | トラックバック:0コメント:0
live forever
ブリットポップの変遷を描いたドキュメンタリー映画。ロックファン必見。

実は以前にも見たことがあるけどまた見たくなったので借りてきた。

英国の長きに渡るサッチャー政権が終わりを告げ、新たな時代へと活気づいた時代。雑誌の編集者がインタビューで答えているように「もしこうだったらいい」と言う「if」が実現した時代。90年代の前半である。

作品内ではアーティスト(ブラー、オアシス、パルプ、マッシヴアタックなど)のインタビューで流れを追う。英国内のアメリカ文化の繁栄に対するクールブリタニアの反発。サッチャー政権は労組の解体、市場主義の導入など、やや「アメリカ的」な政策を導入しており、それに対する市民の文化的反発のように捉えることもできる。

ブリットポップと言えば「オアシス対ブラー」のチャートウォーで有名だが、当事者である彼らの話によれば、それはメディア(NME)がけしかけた「戦争」であったようだ。ブラーのデーモンは「第3者が絡んでいた」とあからさまな不快感を露にしている。

個人的な好みを言えばブラーもオアシスも好きだ。ブラーの皮肉の利いた歌詞、オアシスの力強い歌詞、どちらも開放された時代には素晴らしいものだったのだろう。

短くも素晴らしき時代。それがムーヴメントに発展した時代。見ていて羨ましいと言うか、そんな感じだ。

俺はブレアとブリットポップが結びついていたように錯覚していたが(もちろんクールブリタニアを売り出したのは間違いないが)、映画で語られるブリットポップの終焉がブレア政権の発足と同時であることが興味深い。その意味ではブレア政権は政治的に素晴らしい後押しを受けて発足した側面もある。ブリットポップ全盛はメージャー政権時代であり、その意味では保守党の政策を受け継ぐ形で支持を得る結果となったブレア政権を端的に現しているような気がしてならない。現在の保守党がややかつての労働党的な思いやり政策を打ち出していたのを見ると、いかにブレアが保守党の政策を引き継いだかが感じられる。

ところで、ブリットポップブームの中で、やはり文化がメディアなど特定の利益に吸い上げられる様も描かれている。デーモン・アルバーンの憤りを見てもそうだし、ジャヴィス・コッカーのインタビューなどでも捉えられる。「あの店は素敵よ、だってスプーンがあんなに汚いんですもの」

そして終焉はオアシスのBe Here Nowの時期で訪れるように描かれる。作品の雰囲気はがらりと変わり、政治に操られたブリットポップの姿がそこにはあった。「彼(オアシスのノエル)は虚勢されたのよ」「俺が一番ムカついたのは、ブレアが息子を私立学校に入れた事。そしてその話をするなとブレア側に言われたこと。だから官邸のパーティーには行く気は無い」

実際その時代を感じていない俺としては(当時小学生で、悪さばかりしてロックの「ロ」の字も知らない少年だった、まぁやっていることはロックだったが笑)真実がどうなのか確かな事はいえないが、確かに描かれる流れを見ると理解できる部分が多い。

最後のノエルのインタビューが傑作だ。あるアイドルグループの振り付けを真似て「(振り付けを真似ながら)何だこれは?俺にはさっぱりわからない。いまや振り付け師の独壇場だ」

ブラーのアルバーンも皮肉たっぷりに「アイドルをアメリカに輸出するのは今までの恩返し」と語っている。

あれから10年ほど。新たなムーヴメントが起こりにくいと言われるなか、何か起こって欲しいと思うのは無理な願いだろうか。
| 映画 | 03:39 | トラックバック:0コメント:0
Road to war
世界を相手に商売した武器商人のお話。実話のようだ。

実はこの映画についてはある国際雑誌で読んだ事があって気にはなっていたが今更になって見た。ニコラス・ケイジ主演。

こういった所謂アウトローの映画はいくつか見てきた。ブロウなんかその典型で、ストーリーもそれに習うようで、予想されるべき末路と言いたい所だが、彼にはつよーい味方が付いていたわけ。それはGovernment。

ウクライナ移民でアメリカ人の武器商人の話。紛争あるところにビジネスあり。それは漫画のエリア88のマッコイじいさんさながらだ。

良心と言うか、そういったモノが議論になるが、この映画ではその存在そのものに焦点が当てられて、それを視聴者がどう考えるのかであろう。例えば、作品内に出てくるインターポールの刑事だったり、主人公の妻であったり、現実を考え、何が正しいのかを判断させる要素はあるが、ではそれが一概に正しいと言えるかと言えばそうでは無い。

人間ひとりひとりは当然「個人」であるべきで、その存在が尊重されるべきだが、ひとつの利害に晒された時に無意味である事が痛いほど伝わってくる。「必要悪」との表現が映画ではあったが、その「必要悪」がある特定の人間のためである事実をこの反戦映画は描いている。

敢えて「反戦映画」と言い切ろう。ラストのテロップでも本当の「武器商人」が誰か訴えている。そして主人公はその下請けでしかないのだ。なくならない限り、それは利益を生み出す。ある意味、今の資本主義の典型でもあるが、それは特定の利益に汲みした時に物凄い影響力を持つものだと思った。

作品自体はジョニー・デップの「ブロウ」のようなものである。見過ごされがちな人間の末路を描いていると思う。但し、それがヒーローになりうるわけではない事をしっかり描いている。

ブロウでジョニー・デップは実在の麻薬王、ジョージ・ユングを演じたが、彼は決してヒーローにはなれなかった。それと今回、俺が見た作品はどこか被る。

必要悪と言う言葉でどこまで踏み出して良いか分からないが、その存在そのものが「悪」と判断される世の中で、俺たちが見過ごしている問題がどのような物か、それを考える機会にはなったと思う。

彼の売る武器が人を殺していく。しかし需要は形を変えて存在し続ける。形が変われば、ある意味正しいように見える。その末端にいる人間の土キュメンタリーと考えると非常に面白いい作品ではあったと思う。

見たところで決して損は無い作品だと思う。
| 映画 | 05:31 | トラックバック:0コメント:0
The Machinist
とりあえずDVDパッケージが「春巻」だった。アノ漫画で財布を落として、ろくに食えなくて激痩せした時の春巻そのものだ。

内容は不眠症に悩まされ、1年間ろくに寝ていない「機械工」の男トレバーが、自身の周りで起こる不可解な謎の原因を解いたところ「大変な事実」を思い出す、と言うもの。

こういう映画を見ると、まさか「ファイトクラブ型」じゃ無いだろうなと思ってしまうのだが(高校時代に見た「ファイトクラブ」は衝撃的だった)、今回も…。

とは言ってみても、半ば位から、大体筋が読めてたから別に設定はどうでも良かったんだけど、気になる「真実」がどうにでもこじつけられる内容だったのが凄く不満だった。

主人公の人間性が物語を面白くしていた部分はあると思うけど、全体的には平凡な作品。

特典映像で「撮影場所がスペイン(設定はロサンゼルス)」だったと明かされるがそっちの方が驚きの真実じゃないのかな。
| 映画 | 18:23 | トラックバック:0コメント:0
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